川内倫子の写真集『うたたね』は、写真編集という行為を「構成の技術」から、「感覚の持続」を記述する方法として提示した作品である。ここでの編集とは、物語を越えて、見ることのリズム=意識の呼吸を構築することにほかならない。意識は回憶する行為で働き、意識の流れは時間の流れとして知る。時間そのものを思考する装置として装備する。そこでは、イメージは理性的連鎖から解放され、記憶・夢・想起・非合理的連関が共存する「思考の場」として働く。

写真集の「順序づけ」は単なる時間軸の配列ではなく、

イメージの連鎖の中で“思考が生まれる間”=時間の経験を編集すること にほかない。


Ⅰ. 「記録」ではなく「流れ」をつくる編集

『うたたね』のページをめくると、赤子の肌、花びら、光の粒、動物のまどろみ、そして日常のわずかな瞬間が、どれも等価に配置されていて、淡く連なる時間の流体がある。

この構成は、一般的な「主題の整理」や「章立て」の編集とは異なる。

川内は、一枚の写真を意味的に説明するのではなく、それが次の写真にどのように呼応するかという関係性のみに関心を置く。

隣接ではなく、距離を隔てたイメージが共鳴することで、「感覚のつながり」が生まれる。

つまり『うたたね』は、世界の断片を関係性でつなぎ、光や温度の共鳴でつなぐ編集を実践している。


Ⅱ. 断片の中の時間 ― 時間の結晶

動作の前後を語らず、感情**の濃度や滞留(状態)**をそのまま提示する点において、川内の編集は「感覚運動的連関」を構築している。

例えば、死んだ蝶々のあとに、光に溶ける花弁が置かれる――この並置は、行動的な因果関係を持たない。

しかし、見る者は「夢」と「生」の境界を感じる。 それは、時間が「流れ」ではなく「層」として提示される構造――過去の諸層と現在の先端の共存に他ならない。この編集において、ページは時間を前進させるものではなく、意識を反転・停滞・滲出させる装置となる。

現実的なイメージ(actual)と潜在的なイメージ(virtual)が区別不能な状態。

例えば同じ場所・同じ時間帯・同じ構図で撮られた写真を反復的に並置すると、それらは現在の像でありながら過去の残像でもある。過去が現在の中に「結晶」として沈殿し、観者はその入れ子状の時間を知覚する。

ここでの編集法は、「持続(durée)」を可視化するものです。

順序は時間的ではなく、「想起の回路」に沿って配列される。

→ 編集キーワード:「反復(répétition)」と「層(stratum)」