都霊裹尸布をめぐる議論は、しばしば宗教的真偽の問題として扱われてきた。すなわち、それは本当にキリストの遺骸を包んだ布なのか、そこに残された像は奇跡なのか、それとも人為的に制作されたものなのか、という問題である。現在の主流的な科学的見解では、1988年の放射性炭素年代測定によって、この布はおおよそ中世のものとされている。したがって、少なくとも実証的な立場からは、それをそのまま「キリスト時代の真正な聖遺物」と断定することはできない。、写真論の観点から見るならば、都霊裹尸布の重要性は、その真偽に尽きるものではない。むしろ重要なのは、この布が、近代写真が抱え込むことになる根本的な問題を、写真以前のかたちですでに露出させている点にある。つまり、そこには「似ている像」としての icon、「身体が触れた痕跡」としての index、そして「キリストの身体」と読ませる文化的・宗教的約束としての symbol が、複雑に重なっている。
パースの記号論において、icon は対象との類似によって成立する記号であり、index は対象との物理的・因果的関係によって成立する記号であり、symbol は社会的約束や文化的規則によって成立する記号である。写真は、この三つの関係のどれか一つに還元できるものではない。写真は対象に似ている。しかし、単に似ているだけではなく、光学的・化学的な過程を通じて対象と物理的に接続されている。そしてさらに、それが何を意味するのかは、タイトル、文脈、制度、信仰、記憶、歴史によって初めて読まれる。ず icon として作用する。布面には人間の身体らしき輪郭があり、顔、胴体、手足、傷跡のように見える部分がある。だから私たちは、それを一つの身体像として読む。しかし、それだけならば、これは単なる人体像でしかない。裹尸布がより強い力を持つのは、それが単に「身体に似ている」だけでなく、「身体がそこに触れ、その接触によって残された痕跡」であるかのように見えるからである。ここで裹尸布は index となる。
この点において、裹尸布は写真にきわめて近い。写真もまた、単なる描写ではない。写真は、対象から反射した光が感光面に到達し、そこに物理的な変化を生じさせることで成立する。だから写真は、絵画のように対象を模倣するだけではなく、対象がそこに存在したことを示す痕跡として受け取られる。アンドレ・バザンが写真を「現実の転移」として考え、写真と聖遺物、さらには死者の保存との関係を論じたのは、まさにこのためである。写真は、世界を描き直すのではなく、世界の側からやって来た何かを受け止める。は真実である」と結論してはならない。裹尸布が教えてくれるのは、索引性そのものが自動的に意味を保証するわけではない、ということである。たとえそこに何らかの痕跡があったとしても、その痕跡を「キリストの身体」と読むためには、受難の物語、聖遺物崇拝、教会の制度、図像の伝統、信仰共同体の解釈が必要である。つまり、index はそれだけでは沈黙している。そこに意味を与えるのは symbol の働きである。
ロラン・バルトが『明るい部屋』で写真の本質を「それはかつてあった」と捉えたとき、彼は写真を、単なる視覚的な類似以上のものとして考えていた。写真は、対象が過去のある時点において存在していたことを、見る者に突きつける。だから写真は、つねに時間、死、喪失、記憶と深く関わる。裹尸布もまた、同じ構造を持っている。それは生きた身体の像ではなく、消え去った身体が表面に残したとされる痕跡である。写真が死者の気配を帯びるのと同じように、裹尸布もまた、存在の消失後に残された表面として読まれる。導かれる。写真とは、単に「対象を写したもの」ではない。写真とは、対象が消えたあとに、光、支持体、化学反応、時間、そして解釈の制度を通じて、ある像が現れてしまう場である。写真において重要なのは、作者が対象を完全に支配し、画面のなかに再現することではない。むしろ写真は、作者の意図を超えて、対象や環境、素材の側から何かが現れてくる出来事なのである。
この地点で、清水穣の「写真性」の議論がきわめて重要になる。清水は『不可視性としての写真――ジェームズ・ウェリング』において、写真を単なる平面や印画紙、あるいはカメラで撮られた画像に限定しない。清水の議論において重要なのは、「写真」という制度的な形式よりも、そこに働いている写真性である。「写真性」を持つものを写真として考える視点を紹介している。さらにそこでは、写真の衝撃は「視覚の構造的な他者」を発見したことにあるとされ、写真に写るものは世界の表象ではなく、「世界を見ている眼」であると説明されている。もはや「何かを写す技術」ではない。写真とは、目に見える対象を記録する装置ではなく、むしろ見ることそのものの不可視な構造を露出させる装置である。私たちが写真を見るとき、そこに見えているのは、単に被写体ではない。そこには、光がどのように対象に触れたのか、支持体がどのように反応したのか、見る者がどのような制度や記憶を通じてそれを読んでいるのか、という複数の関係が折り重なっている。
したがって、写真性とは、単に「現実を写す能力」ではない。むしろ写真性とは、現実が媒介を通過するときに、肉眼とは異なる形で現れてしまう性質である。ここには偶然がある。遅れがある。痕跡がある。ノイズがある。見えていたはずなのに見えていなかったものが、写真によってはじめて見えるようになる。そこに写真の力がある。ここでいう「現れる」とは、神秘的な意味ではない。対象、光、時間、支持体、化学反応、機械、制度、そして見る者の知覚が交差するなかで、像が事後的に立ち上がってくるという意味である。写真は、対象を透明に再現する窓ではない。むしろ写真は、対象が失われ、光が通過し、素材が変化し、見る者が意味を与えるその場所に、初めて像が生成する表面である。
この視点から聖死骸を見直すと、それは単なる宗教的遺物ではなく、写真以前に存在した一つの「写真性」のモデルとして理解できる。布は身体を描いているのではない。身体がそこにあったかもしれないという痕跡を、布の表面において現れさせている。そしてその痕跡は、見る者の信仰や文化的知識によって、キリストの身体として読まれる。つまり聖死骸布は、index が icon として立ち上がり、symbol によって意味づけられる過程を、きわめて純粋なかたちで示している。
これは、写真一般にもそのまま当てはまる。写真は、世界をそのまま写すのではない。世界と接触した痕跡が、ある支持体上に生じ、その痕跡が像として読まれ、さらに社会的・文化的な意味へと変換される。その過程全体が写真なのである。だから写真の本質は、被写体の再現にあるのではなく、不可視の関係が可視化される出来事にある。
清水穣のいう「不可視性としての写真」は、この意味で、写真を視覚表象の領域から解放する。写真は、目に見えるものを写す技術ではなく、目に見えるものの背後にある不可視の構造――光の経路、時間の堆積、対象との距離、制度的な読み、そして見るという行為そのもの――を表面化させる技術である。だから、写真を見るとは、単に被写体を見ることではない。写真を見るとは、見ることを可能にしている不可視の条件に触れることなのである。
ここで最初の命題に戻ることができる。写真は「写されるもの」ではなく、「現れるもの」である。写すという言葉は、あたかも主体が対象を捕獲し、画面のなかに固定するかのような印象を与える。しかし、写真において実際に起こっているのは、もっと不安定で、もっと複雑な出来事である。対象は完全には所有されない。光は制御しきれない。素材は予期しない反応を起こす。見る者は、そこに作家の意図とは別の意味を読み込む。写真とは、こうした複数の力が交差した結果として、像がふと立ち上がる場なのである。
したがって、写真の本質は「再現」ではなく「現前」であり、「記録」ではなく「顕現」であり、「対象の所有」ではなく「関係の発生」である。都霊裹尸布が示しているのは、まさにこのことだ。それは、身体を写した像である以前に、身体、布、光、信仰、解釈が絡み合うことで現れた像である。そして近代写真もまた、同じ構造を別の技術体系のもとで反復している。
ゆえに、写真を考えるとは、被写体が何であるかを問うことにとどまらない。むしろ問うべきなのは、何が、どのような条件のもとで、どのように現れてしまったのかである。写真とは、対象の表象ではなく、不可視の関係が可視化される出来事である。そしてその出来事こそが、清水穣のいう「写真性」の核心にある。